天声人語
本日付けの朝日新聞の天声人語である。今ならasahi.comで読むこともできるが、バックナンバーは数日しか保存されないみたいなので、仕方ないから全文引用しよう。すぐにデッドリンクになるのが分かっているのでリンクはしない。
ここはどこだろう。まっくらだ。ワタシがだれなのかもわからない。まわりには、ワタシのようなものはいないようだ。これから、どうなるのだろうか。
てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。いつかどこかで、ふたつのものがあわさってワタシというものがはじまったようなのだ。まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、それがであってあたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。
ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。せまいこのばしょではきゅうくつだ。そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。
「カッパ」といういきもののせかいでは、そとへのでぐちで、きかれるそうだ。アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。「おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ」。「いやだ」といえば、でなくてもいいらしい。
あれあれっ、そとへおしだされそうだ。すごいあつりょくだ。だれも、でたいかどうかきいてくれない。きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。
ついに、そとへでた。ひかりがまぶしい。あたらしいせかいのはじまりだ。からだに、ちからがわいてくるようなきがした。ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。
- 問い1
- この詩(のようなものは)の「ワタシ」とは誰のことか?
- 問い2
- この詩(のようなものは)が訴えようとしていることは何か?
問い1の答えはまぁ明らかだろうが、問い2の答えが分からない。朝日の主張を知りたいと思ってここ数日の社説を探してみた。17日付けの社説でこの件について触れてはいるが結局のところ何が言いたいのかは分からなかった。
決して安易に認めてよい方法ではない。しかし、この方法でしか子供を得られない人がいることも事実だ。そうした人たちのことを考えれば、原則的に禁じながらも、例外的に認める必要があるかもしれない。
もし認めるならば、どういう条件を付すべきなのか。少なくとも、金銭のやりとりは許されないし、代理母を命の危険にさらしてはならない。
身体的にも倫理的にも問題をはらむこうした医療には、第三者も加わったチェックが欠かせない。そのためにも、法的な枠組み作りを急ぐ必要がある。
新しい技術は次々に登場する。それをどこまで認めるか。人々の考えも変わっていくだろうが、原則を打ち立てることなく、現実を後追いする事態だけは避けねばならない。
どうにかしなきゃと言っているだけで、こうしたらいいんじゃないかという提案は何処にもない。現実を後追いする事態だけは避けねばならない。
とか言ってるけど、もう既に現実の方が先に行っちゃってるのに一体何を言ってるんだろうか。