原理主義

どんな世界にでもいるもんなんですが、インターネット上にもやっぱりいます、原理主義者。曰く「"インターネットする"ってどういうこと?」「HP って言ったら Hewlett-Packard のことだろ」「英語で link free って言ったらリンクはしてないって意味だよ」「インターネットは英語が共通語。英語のページも用意するか、せめて Japanese only の文字を」etc、etc。
確かに言っていることは正しい。俺個人としてはかなりの部分において賛成。でも、啓蒙はいいけど押しつけはやめて欲しい。言葉ってのは変化していくモノですし、カタカナで書かれた時点で、すでにそれは英語ではない。気に入らない言葉や間違っていると思う言葉は自分で使わなければいいだけの話。ってのはあくまで俺個人の考えなので押しつけはしませんが。
"「押しつけはしない」とか言いながら掲示板でのツラ文字使用禁止を貴様らに強制していること"に対する俺の言い分。「掲示板について」をお読みいただきたく。
という内容の「覚え書き」について、思いがけない方法で返答*1をいただきました。掲示板に書きこむには長すぎるのと、他の掲示板に出入りしている方々 ( 少ないようでも色々いらっしゃいますから ) への配慮でとられた方法なのかなという印象がありましたが、違いますか?まぁ、一読したところ、反論というよりは、その方なりの「インターネット原理主義」への見解といったところでしょうか。そもそも、「押しつけはやめて欲しい」という私とこの方とでは、立脚点が同じとは言わないまでも、真っ向から対立はしていないと思いますが、どうでしょう。それはともかく、せっかく書いていただいたことですし、私の知る限りでは、そこに書かれた文章はいつか消えて ( 少なくとも我々外部からは見えなくなって )しまう、というのも勿体無いというか、私としては他の方にも読んでいただきたい内容ですので、「転載自由」と書かれているのをいいことに転載します。

2000 年 8 月 25 日の「覚え書き」への返答を全文転載

Mattz 注:一箇所、明らかにタイプミスと思われる部分について、誠に勝手ながらこちらで一文字削除しました。

Re: 原理主義

わたしはいわゆる原理主義者のほうに分類される人種であろうと思われる。 時には「インターネットする」という文章が気持ち悪く見えたり、 HP というのは Hewlett-Packard Company のことだろうと皮肉れてみたりもする。 でも、それをあまり表には出さないのは、他人に押し付けるつもりはないというよりも、単に他人のことばの使いかたに頓着しないというだけのことだったりする。 むかしは「レス」ということばに対してたいそう批判的な文章を書いていたこともあったが。

厳密さが要求される場であればやっぱり厳密にしたほうがいいと思うし、ルーズさが許容される場であっても、どうとでも解釈のしようがありそうな略語なんかは前置きしておいてくれればありがたい。 わたし自身はそうするよう心がけている。 しかし、わたしはデジタルな機械ではなく人間なのだから、ことばの揺れも略語の意味もよほどのもの以外なら前後の文脈を読んで補完することができる。 そして、もしそれができなければ、言葉を発したひとに向かって尋ねるという手段を取ることができるのである。 だから、他人のことばの使いかたにはあまりこだわりがない。

ただ、気心の知れた友人ならともかく、不特定多数に語りかける掲示板のような場で、すべての他人が同等の言語理解能力を備えていると考えるのは無理があるし、それを期待するべきではないだろう。 しかし現実には、そのような幻想を抱いている人間が少なからずいたりする。 そういう人間に限って「 HP といえばホームページだってことぐらいわかるでしょう!!」とか言っちゃったりするので始末が悪い。

意図が伝わらないのは書き手が未定義の略語を使ったからであって、いままでわかってもらえていたのはたまたま読み手が補完してくれていたからにすぎない。 また、相手が自分の意図したとおりに補完してくれるとは限らないのだから、相手の解釈能力に頼っていてはスムーズなコミュニケーションはできない。 わかってほしいという甘えを受け入れるか受け入れないかは読み手に決定権があるのに、書き手側がキレるというのはどういうことだろうか。 そういう場面をわたしはなんども見ている。 単語の使いかた自体より、そういう甘えた態度が見え隠れしたりするので気分が悪かったりする。

さらに、わたしは「言葉は時代とともに変わるものだ」という台詞は嫌いなのである。 正確にいえば「自分が使っていることばが一般的であるという嘘を正当化するために『言葉は時代とともに変わるものだ』という台詞を安易に持ち出す人間」が嫌い、となるだろうか。 長い目で見れば、たしかにことばは時とともに変化している。 これからも変化していくだろう。 しかし、それは長い時代の流れの中でしだいに変化しているのであって、ある時点で急に変わるわけではない。 現実に現在「わからない」「通用しない」と言っている人間がいる前で、それを通用させるための抗弁に「ことばは時代とともに変わるもんだ」と言ってもなんの説得力もないのである。 わからない、通用しないという人間がいなくなってから初めて「変わった」と言っていただきたい。 さらに言えば「時代とともに」と言うのなら、時代とともにどう変化してきているのかぐらい調べてから言ってほしいもんである。

また、 :-)(^^)(笑)(爆) など感情表現に使う符丁、一般に浸透する前の (もしくは永久に浸透しない) 略語、一般的に使われていないが仲間内では意味が通じているようなことばなどは俗語 jargon というが、このようなことばはコミュニティに依存しているので、ある場所では通じることがあっても別の場所では通じないということは当たり前のことである。 ところが、特定のコミュニティに長く属していたり、他のコミュニティを知らなかったりすると、俗語が俗語でないかのような錯覚をしてしまい、うっかり他のコミュニティでも使ってしまったりする。 論旨が変わらない範囲であればいいが、そのことばは実はこっちのコミュニティではまったく逆の意味で、自分でそのつもりはなくてもケンカを売ってしまったなんてことも起こらないとも限らないので、自分が使っていることばが俗語かどうかがわかっているなら使わないのが無難だし、わからないなら他のコミュニティに参加する前にそのコミュニティをよく見てそちら側に合わせるようにするべきだろう。

そういうわけで、わたし自身はことばの使いかたには気を使うべきだと考えているけど、すべての人間が自分が満足する言語理解能力を有しているのを期待できないのと同じように、すべての人間が自分が満足する言語記述能力を持っていないことはまちがいないので、他人の言葉の使いかたで憤慨したりするのは馬鹿らしいという持論はおそらくずっと変わらないでしょう、というのを某覚え書きへの返答としておきます。

(2000-08-25)

某ひとりごと。への返答

返答とは言いながら、不特定多数の読者への語りかけも混在してますが大目に見てください。
2000/08/28 Mattz 記
私自身、実は「インターネット新人類度チェック」(URIはこちら→http://www5.cds.ne.jp/~aid/cgi/innhcheck.html 興味のある方はどうぞ)の鑑定結果が11.2%と出る程度には原理主義*2だったりしますし、以前は他人に対しての原理主義的行動をとっていたこともあります。が、最近(実にごく最近)は行動にまで移すのは控えています。なぜならば、自分はそうできるだけの「根拠」をもちあわせていないことに気付いたからです。ここでいう「根拠」というのは、極論になりますが、「他人に指摘するなら『RFC』や『W3C』の勧告の最新版には目を通してなきゃいかんのではないか」といったところでしょうか。RFCの最新が今いくつかすら分からない、邦訳すら全文読んだわけではない「又聞きだけ」の私にそんな資格はあるまい。
# わざわざ書くまでもないとは思いますが、あくまで私自身についての話であり自戒の言葉です。
とはいえ、そもそも最初に書いたのは、「原理主義的なものの考え方自体」には賛成ってことですし、今でも「ホムペ」だの「メアド」だの、ましてや「ほめぱげ」等と言われると、「馬鹿じゃねぇか?」と思ってしまうのも事実だったりしますけど。
「知らないということすら知らない」だけならばともかく、それを指摘したら「知らないんだから仕方がない。」なんて言って開き直ってしまう人とか、「いつまで経っても自称初心者」な人にも困ってしまいますが、「私のHPを見てください」って言ってしまった人に向かって「へぇ〜、Hewlett-Packardってあなたの会社なんですか?」と皮肉ってみたりするのも、その道の先達としてカッコ悪いよな、と思いませんか。
間違っていることを間違っていると指摘すること、それ自体は決して間違ってはいないのだけど、往々にして行動的原理主義者たちのとる手段にも、ヒステリックであったり、攻撃的であったり、皮肉たっぷりだったりと、「"聞くは一時の恥"とか"場の空気を読む"とかいう言葉を胸に刻みつけておいて欲しいような人たち」の「自尊心」(これも皮肉ですが)を傷つけてしまいがちな傾向があるのではないでしょうか。ちょっとズレちゃいましたかね?
「変わっていく言葉」の問題に関する私自身の見解は、「『マスメディアで当たり前のように使われはじめた時』が、『ある言葉が一般的な言葉になったかどうかの境目』」というモノです。どこからが「マス」な「メディア」で「当たり前」なのかって問題はあるにせよ、CMで「ボタン一つでインターネットできる」って言われたら、インターネットは「する」モノだと思ってしまうし、あるいは「簡単HP作成講座」なんていうタイトルの雑誌記事を見たら、自分が作りたいものは「HP」なんだと思ってしまうだろうと。
# ただし、何のCMで何の雑誌の何号の何ページだ?とかいうツッコミはやめていただきたい。それを言われるとグウの音も出ないから。
# "HP" については最初は私も誤認していました。選択した本やサイトにもよりますが、1〜2
冊の本を読んでいくつかのサイトを見てまわっただけで、すぐに違うと気がつけるレベルの問題でもあるのも確かなんですが。
俗語、というかツラ文字については、これはもう、通じる/通じない以前に、私の感覚では「コッ恥かしい」ことなんですよね。ツラ文字*3に限らず、「レス」・「かきこ」もそう。言語としてどうこうではなく、感覚として少なくとも自分が使うのは許せないから使わない。それに、ニュアンスを伝えるのに便利だからと言ってツラ文字を使うよりも、例え何時間考えたとしても代替表現を探しだした方が、自分にとって有意義ですから。
ツラ文字に関して、ちょっと本題からはずれますがこんな人がいました。
私がかつて、メールのやりとりをしていた人間です。その相手が文中で使っていたツラ文字が、見たことのないもので、見た目や文脈で「あー、これは笑っているのかな」とか「怒っているのだな」と分かるならばまだしも、私には全く類推のつかないものだったので、聞いたんですよ「これどういう意味ですか?」って。そうしたら書いた本人が「知らないけどなんとなく使ってる」とかぬかしやがった。
私には、「覚え書き」に関して常にではありませんが「言葉を削る」ってのを命題にしていることがありまして、言葉足らずになることが多いです。敢えて足らなくしていることもありますし、力不足による説明不足になることも多いです。最初の文にしても、もともとはもっと長かったのを、半分以下に削っています。でも今回は「敢えて」ですね。問題提起としての。そういった意味で今回の返答に関しては非常に嬉しかったりします。

上記返答への返答

Re: 覚え書きの覚え書き

というか、じつは反論のつもりでもなくて、原理主義者のひとり (?) としてのいち意見ですのであまり重く受け取らないでください >誰

わたしも、嫁と日常話すときなんかはもう「ホームページ」ですし、顔文字も使うし、「ていうか」から文を始めたりするし、他人の言葉遣いをいちいち指摘するほどの熱意はもうないです。 なんというか、別にわたしも文部省国語委員会でもないわけで、わたし自身にしても常に正しい日本語だけ使えているわけでもないので、いわんや自分以外の人間がなんと言ってようが指摘するような資格もないよといったところでしょうか。

間違いの指摘のしかたというのは、まあひとそれぞれのやりかたですし、そもそも攻撃的・皮肉的な手法を採るひとびとは指摘や啓蒙をするつもりでやってるわけではないのかもしれないので、そういうことをするひとはそういう性格なんだろうなーと思うしかないかもしれません。 指摘されて逆ギレするひとや、そうなりそうなひとをわざわざ探して指摘する人間や、さらにそういう人間の微細なミスを探して突っつく輩とか、ほんとにいろいろなひとがいるものです。

「時とともに変わってゆくことば」にしても、もう実際「変わってしまって」いるんだろうな、と感じることはあります。 まあそこは原理主義者たる者としては無駄な抵抗をしてみたくもあるのですが。

ただやっぱり、

その相手が文中で使っていたツラ文字が、見たことのないもので、見た目や文脈で「あー、これは笑っているのかな」とか「怒っているのだな」と分かるならばまだしも、私には全く類推のつかないものだったので、聞いたんですよ「これどういう意味ですか?」って。そうしたら書いた本人が「知らないけどなんとなく使ってる」とかぬかしやがった。

こういうのは気分が悪いですね。 つまり使っている本人がどういう意思を伝えたいのかはっきりしていない、「あいそ笑い」のようなもんでしょうか。 前のひとりごとでも書きましたが、顔文字とかはそれの意味するものが一致していてこそ意思疎通のできるシロモノですから、その定義の合意がなされていないコミュニティにおいてはなんの意味もないどころか論旨をぼやけさせるゴミにしかならないのですが、そういうことを「わかって」いない人間が多いのではないかと思います。 もちろん時と場所を選べばコミュニケーションの潤滑油ともなりえますが、あくまでも本文があってこその顔文字ですし、顔文字がなくては成立しないような文章であれば稚拙に過ぎるんじゃないかと思います。

(2000-08-28)

最後に

2000/08/29 Mattz 記
はいはい、大丈夫です。このページの冒頭にもあるように反論としては受け取ってないです。あと、重くというか深刻に受け取っているわけでもないです。
結局のところ、「いろんな人がいる」に尽きてしまいますかね。皮肉屋頑固幼稚馬鹿傍観者熱血漢害基地其他諸々。当たり前の話ですが。
大体、「インターネット原理主義」って単語自体、他で誰かがすでに使っているかもしれないし*4それほどオリジナリティがあるとも思えないので、©等とは言わないけど、私が勝手に作ったもんですから*5

*1:今ならトラックバックだな

*2:あくまで"的"。理由は後述。

*3:顔文字とかフェイスマークといった方がより一般的でしょうが

*4:試しに検索してみたが結構古くから使われているようではある

*5:実は結構気に入っている。「W3C 至上主義」ってのも考えたけどこれはイマイチだな